シノプス 浅草サンバカーニバル2019

ありがとう平成、ようこそ令和!

サウーヂの2019年浅草サンバカーニバルのテーマは「ありがとう平成、ようこそ令和!」
そのシノプス(あらすじ)について、カーニバル構成班からご紹介します。

「ありがとう平成、ようこそ令和!」

2019年、平成が終わって新しい元号になるよ!ということで、サウーヂが作った「平成のポートレート」を皆さんに見ていただき、また、来たる新時代に馳せる思いを共有しよう。

平成の幕開けと言えば、東西冷戦の終結、そう、ベルリンの壁の崩壊だ。社会主義と資本主義とでドイツを真っ二つに引き裂いていたあの重厚な壁が砕かれた。知っているだろうか?昔ドイツが東西に分かれていたことを。朝鮮は未だに南北に分かれてしまっているけれど…。
消費税導入を決定したのは昭和最後の総理、竹下登氏だったけど、この消費税ってやつは、間違いなく平成の不況の口火を切ったのではなかろうか。最初はたったの3%だったのに、いつの間にか5%、8%ときて、今年にはなんと10%になろうとしている。どうしてこんなに上がってるんだか。税金はちゃんと使って欲しいものだ。

平成と言う時代に、みんながどんなことに夢中になってきたのか、も見てみよう。
最初のほうは、お金をふんだんに使って豪華に遊んでたよね。ジュリアナとか、ワンレンボディコン、ツーブロックなんてのが流行ってたよね。東京ラブストーリーやらダブル浅野やら何やら。ディスコがクラブにとって代わられるのはもう少し後の話。
流行を引っ張ってきたのはJK(女子高生)って言われてたけど、極端に走ったりもしてたね。ルーズソックスがどんどんエスカレートしてスーパールーズなんてのが出て来たり、ガングロ茶髪のヤマンバギャルなんてのもいた。
それから少し時が経つと、今までサブカルチャーになったものがメジャーに出てきたりもした。アニメから飛び出してきたようなメイド喫茶、執事喫茶などのコスプレを売りにした店なんかが出てきた。
コンピューターやインターネットのその急速な成長は、新しいものをたくさん生み出した。たくさんの情報を虚実ないまぜに、一般の人々が好き勝手に書き散らす巨大掲示板「2ちゃんねる」が猛威をふるっていた。炎上や祭りなどを始めとして、いろんな様が飛び出してきて、その炎上や祭りをある人たちは楽しみ、ある人たちは恐れた。また、YouTubeで世界に映像で情報発信する人たちが現れ、映像はマスメディアだけの特権ではなくなった。
Eメールに始まった遠くの人に瞬時に思いを伝えるツールは、今やFacebookを始めとするSNSとして発展し、人と人とのつながり方を革命的に変えた。
ボーカロイドとDTMの融合は、歌が歌えない人にも作曲できるツールを与えた。

さてこうしてみると、新しく生み出された様々な歴史を、僕らは通り抜けてきたわけだ。だけど、それだけでは平成の歴史を半分しか見たことにならない。平成に限らず、歴史を振り返るには、負の側面があったことを無視することはできないからだ。
僕らは数々の災害・戦争・テロリズムを経験し、それらの恐ろしさについて考えさせられ
た。カルト教団が数々隆興したなかで、自分たちの正しさしか見えなくなって、仲間以外の
人々に牙をむいた、オウム真理教。昭和中期の連合赤軍以来のテロリズムだが、初めて経験して驚いた方も多いのではないだろうか。
アメリカを始めとする西洋諸国で構成した多国籍軍と、アラブ世界の頂点に立って大国になろうとしたイラクが繰り広げた湾岸戦争は、正義がどちら側にもないことを示すものだったし、アメリカで発生した同時多発テロには、世界は簡単に平和を失うんだと言うことを見せつけられた。
数年に一度の大地震にも僕らは苦しめられた。特に東日本大震災では、二次災害で原発事故(メルトダウン)が起き、かつて住んでいたところに帰れない人々が、今もたくさんいる。二度と帰れない人もいる。
ここ近年は台風の当たり年で、豪雨や土砂災害が各地を襲った。
でも僕らはすべて、傷つきながらも、苦しみを乗り越えてきた。

楽しいことも辛いこともあったけど、平成について振り返るのはこの辺にして、これからについても語りたい。
新元号は「令和」に決定した。何はともあれ、まずは歓迎しよう。はじめまして!ようこそ!!
…最初のうちは耳なれず、ダサいと思ったりするのだろうか?そして後になって好きになったりするのだろうか?
平成から新しい時代に引き継いでいきたい事はなんだろう?続けていかなければならない事は?たくさん考えられそうだけど、1番は多様性、多様な選択肢がある自由、ではないだろうか?

いろんな人がそのままの自分を選ぶことができて、たくさんの「そのまま」が世の中を飾る。
一方で、変わることを望んで、それを取り入れたり、受け入れたりする。そうしてできた、たくさんの「変化」が世の中を飾る。

ここで大事なことは、選択の余地をなくしていく「不安」を少なくしていくことだ。エーリッヒ・フロムが著書『自由からの逃走』で言うように、人は自由すぎると、全て自分で選ばなければならなくなり、それが正しいのかどうか自信が持てなくなる。また、人は他人の目を無視できない。自分の選択に「ありえない」という眼差しが注がれたら、誰だって萎縮する。(フロムによると、自分の選択責任をあまりに重く感じ、その不安により強いリーダーの指揮が望まれ、そうして生まれたのが、ナチスをはじめとするファシズム政権だった、とされている)

だから僕らは、不安を無くすために言わなければならない。あなたがどんな選択をしたとしても、それでいい、まる、と。変化も維持も選べることにこそ価値がある、と。そしてそれを助けるセーフティネットがあると良い。

人生のステップに例えて言えば、進学だけが進路じゃない。エスカレーター式に進むだけが道じゃない。大企業だけが就職じゃない。(ただし、進学を選ぶことも、エスカレーター式に進むことも、大企業を選ぶことも、自由だ。)変化を選ぶのも自由、不変の基準で選ぶのも自由だ。そして、一度選んで始めたことを、絶対やめてはいけないこともない。

先進国では、環境保護のために、生物の多様性への配慮が進んできているが、人間社会にだって多様性が必要なことは言うまでもないだろう。たとえそれがどんなに小さな組織でも、どんなに小さな選択でも。
同性婚の自由が認められつつあるように、マイノリティがマイノリティで居続けることを選べるようになる。

僕らの選択肢を狭めていた古き物は崩れ去り、そこからたくさんの花が咲き乱れる。そんな風潮がさらに広がってゆく時代になるよう、祈り願おう。
その気持ちを込めて、サウーヂは浅草に自由の種を蒔き、たくさんの種類の花を咲かせ、それを支える木を育てる。

カーニバル構成班