Saúdeの歴史
| 酒と唄を愛する大道芸人たちの街、横浜・野毛に生まれた、私たちサウーヂの歩みを紹介します。 | |
| 1986
ヨコハマのジャズ喫茶FIRSTの仲間を中心に生まれる。発足時のメンバーでもある中原仁氏の提唱で同年のマンゲイラのサンバエンヘードにて、浅草サンバカーニバル初出場。初めての練習の打ち上げにおいて、皆が発した乾杯の言葉「サウーヂ!」がチーム名となる。 1987浜幸マスターの参加を得て野毛を中心にした活動を開始する。また仙台サンバクラブと出会い、サンバの楽しさ、素晴しさを伝えられるとともにパゴーヂのできるエスコーラを目指すようになる。2度目の浅草は秋岡欧、笹子重治両氏(現ショーロクラブ)らの協力を得て、"Exaltação a Mangueira"の完全自前演奏で浅草出場。初代プシャドール森本タケル氏がマンゲイラに捧げるアルバム「サンバの影」を発表。 1988初のオリジナル曲"Cidade da Paixão"(梶川ノリオ、笹子重治、石山和男作の名曲)で浅草出場。仙台サンバクラブや大阪から原中カイピ、ミドリ夫妻、稲見氏の参加も得て堂々の金賞獲得(2位)。 1989"Hómen nota dez"(10点満点の男)をテーマに東洋一のサンバ歌手、森本タケル氏を讃えた。 1990初心に帰り、初出場時と同じ1986年のマンゲイラのサンバエンヘードにて浅草出場。 1991梶川ノリオ、小林正勝氏らにより組織だったバテリア練習を始める。このときに生まれたのがいまに残る"É Hoje"(1982年ウニアン・ダ・イーリャのサンバエンヘード)のサウーヂアレンジバージョンである。同曲にて浅草出場。4位受賞。 1992プレジデンチが初代佐藤夕祐氏から2代目石山和男氏に交代。 アカラジェ軍団、ベルマーレ平塚などの参加を得て220名での浅草出場。テーマは「永遠の宴」、酒と宴会を賛え、大変な盛り上がりで金賞受賞(2位)。 1994夜間パレード最後の年。アラビアン・ナイトをテーマに、チャオ氏が豪華絢爛なファンタジアを作る。準優勝。 1995サウーヂ10周年ということで、サウーヂが生まれ育った4つのバール(酒場)、ボテキン・浜幸・タイム・乃津と横浜を讃えるエンヘードを作成。浜幸マスターはアレゴリアの上に乗りご満悦。3位受賞。 1996「おばけ」がテーマの年。黒を基調とし、コミッサォンは死に神と棺桶に入った美女という奇抜なヂスフィーレ。黒猫のアーラが大人気。3位受賞。 1997愛するマンゲイラの創始者カルトーラの名曲「沈黙のバラ」に着想を得て、「おしゃべりなバラ」というテーマで出場。5位受賞。 1998プレジデンチが2代目石山和男氏から3代目松重隆氏に交代。 マンゲイラ日本大使の佐久間圭輔氏と出会う。 大規模なマンゲイラとの交流ツアー開始。多くのメンバーがマンゲイラのメンバーとしてリオのカルナヴァルに出場。この年の浅草よりカルナバレスコ(カーニパルの制作・進行総指揮者)を設置する。初代カルナバレスコには内田弘昭氏が就任。 プレジデンチが3代目松重隆氏から4代目金子哲也に交代。マンゲイラとの技術交流ツアー開始。ダンス、打楽器共にマンゲイラの主要メンバーから直接指導を受ける カルナバレスコ石山和男氏との縁によりサザンオールスターズ応援団の「毛ガニ道場」の門下生から多数の参加を得る。浅草でのテーマは「日本」。日本神話のさまざまな物語を表現し、ひさびさの準優勝。 2003「オーケストラが街にやってくる」をテーマに、絢爛たるオペラの世界を浅草に再現し、3位受賞。 2004プレジデンチが3代目松重氏から4代目金子哲也氏に交代。 常設の活動拠点「アトリエ・サウーヂ」を横浜・野毛に開設。 「原始時代〜踏めよ、叩けよ、感性と本能のままに!〜」をテーマとして浅草出場。過去最多のアレゴリア(山車)を制作、5位受賞。 2007プレジデンチが4代目金子哲也氏から5代目石山和男氏に交代(再任)。 「飛べ、サウーヂ! 〜風の力に乗って、その翼を広げて〜」をテーマに掲げ、大空を目指した人類の挑戦を歌う。突然の豪雨の中、ヂスフィーレをやり遂げたものの、痛恨の6位受賞。 2009「横浜開港150周年を讃える〜母なる箱舟よ、未来へ針路をとれ!〜」をテーマに、故郷ヨコハマの歴史、風景、新たなる旅立ちを讃えた。一部衣装のブラジル発注を開始。中華学院校友会、栃木県真岡市の「チーム絆」の参加を得たヂスフィーレで、評価項目「テーマの表現」では第1位の評価を受けた。4位受賞、アサヒビール特別賞。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
|
Mangueira |
TOP |






