1996年~2005年
1996年
- カーニバルの制作総指揮を務める役職「カルナバレスコ」を設置
- 「おばけ」をテーマにしたサンバ・ヂ・エンヘードを制作。コミッサォン・ヂ・フレンチは“死神”と“棺桶に入った美女”。“黒猫のアーラ”も人気に。奇抜な構成が評判となった
浅草サンバカーニバル
テーマ:“悪い事は俺から出て行け(悪霊退散)”
結果:3位
1997年
- サンバ・ヂ・エンヘードのテーマは、マンゲイラの創始者・カルトーラの名曲「沈黙のバラ」から着想を得た内容に
浅草サンバカーニバル
テーマ:“おしゃべりな薔薇“
結果:5位
1998年
- 松重隆が3代目プレジデンチに就任
浅草サンバカーニバル
テーマ:“炎の祭典”
結果:4位、審査員特別賞
1999年
- マンゲイラ日本大使の佐久間圭輔氏と出会い、マンゲイラとの交流が本格化する
- 浅草サンバカーニバルのテーマは「海 ~海底の楽園~」。竜宮伝説をモチーフとしたサンバ・ヂ・エンヘード“浦島太郎”の歌詞の一部に、「ドウモアリガトウ」と日本語が使われた
浅草サンバカーニバル
“浦島太郎”
結果:5位
2000年
- サンバ・ヂ・エンヘードは「未来のカーニバル」がテーマ。機械文明に対する自然の重要性を描き出した
浅草サンバカーニバル
テーマ:“未来の楽隊は一つの言葉と種子を運ぶ”
結果:4位
2001年
- 「マンゲイラツアー」がスタート。参加メンバーたちが、リオのカーニバルにマンゲイラの一員として出演
- サンバ・ヂ・エンヘードは、愛するブラジルを讃えた内容に
浅草サンバカーニバル
テーマ:“亜熱帯フェイジョアーダ” ~亜熱帯の地への旅の中で画家はブラジルと出会った~
結果:4位、モバイル賞